前回は、主にメンデルスゾーンの旋律の親しみやすさ、発展性、後世の作曲家へのつながりという点に焦点を当てて話を進めていきました。
そして今回は、メンデルスゾーンの「信仰」・「宗教性」という側面に着目して、彼の音楽を深く考察していきたいと思います。
有名な哲学者モーゼス=メンデルスゾーンを祖父に、成功した銀行家の父アブラハムと歌手・ピアノ教師の母レアというユダヤ系家庭に生まれ育ったメンデルスゾーン。一家は1822年にキリスト教(プロテスタント)に改宗しましたが、その3年後にメンデルスゾーンは、当時宗教的指導を受けていた牧師ヴィルムゼンに堅信礼文(洗礼を受けた後に信仰を確かなものとするための秘跡)を書いています。彼が16才の時です。ヨハネ福音書3:16にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という文に始まり、キリストの教えの尊大さ、神のための自己犠牲、不幸な者や敵への愛などに詳細に述べており、全体の長さは2000語以上に及びます(全文を読みたい人は、クライヴ・ブラウン著『A Portrait of Mendelssohn』を参照して下さい)。
ヴィルムゼンはメンデルスゾーンの書いた堅信をおおむね肯定しながらも、不滅の魂は高尚な人生へと運命づけられ、果てしなく発展し得る性質をもっていることを付け加え、主が彼の魂を明るめ強くすることで、父と母への喜びとなり、また世に証言をすることで、信仰によって賛美され神聖化された芸術が魂を自由そして強く、高貴で偉大なものと成すことを願わんとし、中でも特に「真実の精神」について念を押すように諭していたようです。
彼がいう「真実の精神」とは、誤った行いや隠匿、偽善などを憎み、愛と忠実を重んじ、同胞を不幸から救う救済者、友、恩人となるように努めること。
このような宗教的訓練は、メンデルスゾーンの人格を形成していく最も重要な基盤となっていったのでした。ドイツ人劇作家で古きから交友関係があったエドゥアルド=デフリントは、自身の回想録でそんなメンデルスゾーンの象徴的な一面が垣間見える出来事について語っています。メンデルスゾーンは人間だけでなく些細な生き物に対してさえも慈悲深い人物でした。まだ少年だったメンデルスゾーンの弟パウルが、ある日一匹の魚を捕まえて家に帰ってきてそれを揚げて食べようとしていました。メンデルスゾーンは怒って、「まともな子なら魚を水の中に戻しておいで!」とパウルを責めます。母レアはパウルを擁護しますが、最終的に父アブラハムが仲介に入り、「パウル、魚を水に戻してきなさい。漁師でもないのに、魚の命を取るのはよくない。それよか、どんな生き物の命だって取ってはいけない。」とパウルに魚を戻すように告げます。こうしてメンデルスゾーンはパウルを連れて大喜びで池へと走っていき、もがく魚を水に返すのでした。デフリントはこれを機に、困難な状況にある人を援護するメンデルスゾーンの姿を目にする度に、いつもこの魚のことを思い出すと語っています。
彼の音楽の本質とは何かと考えた時、その根底にあるものは上記に出てきたような、善の意識や正義感、そして忠誠心であるといえるのではないでしょうか?
牧師でメンデルスゾーンのオラトリオの台詞を書いた友人ユリウス=シュープリングは、自らの回顧録でメンデルスゾーンの音楽と宗教的感性の結びつきについて言及しています。シュープリングは、ピアノ曲の『前奏曲とフーガ』第1番ホ短調Op.35 とオラトリオ『聖パウロ』を例に出しながら、メンデルスゾーンの全ての曲の最初のページがお祈りの頭文字となっていることを指摘しているのです。

『前奏曲とフーガ』Op.35は全部で6曲あり、1832年から1837年までの間に書かれています。J.S.バッハが生前に書いた前奏曲とフーガを参考にもしたとされ、メンデルスゾーンが長い年月をかけて入念に仕上げた傑作の一つです。
その第1曲目であるホ短調のフーガでは、死にかかっている友人ハンスタインをベッドの傍らから夜通し見守る所から主題が始まります。やがて病状が次第に悪化していき、それが頂点に達した時、譜例1にあるホ長調コラールで解放される様子が描かれています。
友人はそこで天国に行ってしまったのか、それとも奇跡的に救われたのかについては、考える余地が残ります。
またシュープリングは、メンデルスゾーンのオラトリオにみられる彼の繊細さ・如才さから来る絶妙なタッチについて触れています。

イエス=キリストの信者を連れてダマスカスにたどり着く前、まだ改宗したばかりのパウロ(改宗前の名はサウロ)のアリアにある言葉 ― これらはメンデルスゾーンにとっては不満以外の何ものでもありませんでした。
一方で、ここで彼は詩篇51の発想を得たようで、シュープリングから見るとそれがまるで意図的に書かれていたように思われると語っています。
そして、メンデルスゾーンの芸術に対する意見や観念を合わせて考えた時 ー たとえ指揮台に立っていようと、ピアノの前に座っていようと、四重奏のテノール(ヴィオラのこと)を弾いていようと、宗教と畏敬の念は常に彼の人柄と一体になっていたのだと。これこそが、メンデルスゾーンの音楽がもつ不思議な魅力というか魔力というか、そういったものの真髄だといえます。では、メンデルスゾーン自身は、信仰と音楽の関係をどのように考えていたのでしょうか?
メンデルスゾーンは実際のところ、それほど頻繁に教会の礼拝に通っていたわけではありませんでした。しかし彼の天職である芸術が、いわば宗教的任務のようなものだったのです。そのため、宗教音楽というものが彼にとって特別に高い位置を占めることはなく、― それは何故かというと、― いかなる音楽もそれぞれ独特の手段によって神の栄光を称えるものであって然るべきだからです。
以上ここまで、メンデルスゾーンの音楽を宗教的観点から捉えてきましたが、いかがでしたか?このようなテーマはこれまで取り挙げられなかった論題ですが、今回それによってメンデルスゾーンの音楽の理解がより深まったのであればと思います。