なんという2018年の幕開けでしょう!
ここ過去3週間にわたって練習やリハーサル、コンサートをこなす派手で濃密な日々が続いていました。そんなわけで未だに公開の場では正式に新年の挨拶さえしておらず(とんでもない 😦 )あっという間に1月も終わりを迎えてしまいましたので、この場を用いて読者のみなさんに今年もよい1年をお祈りするとともに祝福の言葉を贈らせていただきます。
さて、2週間前の金曜日(日本時間19日)にイタリア・ミラノから帰還し(後程詳しく書く予定)、翌日には神戸で行われたレクイエム・コンサートに向けたリハーサルが始まり、約5時間ほどかけて追悼をモチーフにした日本作曲家のレクイエムをリハーサルし、その翌日21日に演奏という行程でした。同日には24日の大阪ザ・シンフォニーホールでの演奏会のためのリハーサルに向けての指揮者合わせもあり、プロコフィエフ・ヴァイオリン協奏曲第2番で指揮者大勝秀也さんとのテンポ・間取りの打ち合わせなどを行いました。

1回目のリハーサルでは、まずオーケストラ全体が曲の構造を理解して慣れるために、各楽章を最初から最後まで通して弾き、その後厄介なパッセージを中心に取り組んでいくという流れで進みました。2回目のリハーサルはフィナーレ以外はあまり問題なく、細かいところのみ繰り返し。コーダの部分でE線の弦が切れてしまい(2、3日前に新しく替えたばかりだったにもかかわらず 😦 )、本番に向けては多少の不安もありました。
日本センチュリー交響楽団との共演は今回が3度目。初共演の12年前とはメンバーも新しくなり、若い団員が多いことでプロコフィエフの上演機会には恵まれていなかったことを考えても、まとまりがとれ統率されて、本番に間に合わせてくるところはプロフェッショナルだと感じています。公演を成功さえるのに尽力してくれた楽団員みなさんと指揮者の大勝秀也さんに感謝の意を表したいと思います。
指揮者大勝秀也さんと伴に
個人的にはこの協奏曲には色々な感情も混ざっており、実に4年近くこの曲を学んで練習しながら、過去3回のどのオーケストラとの共演でも、この協奏曲の演奏に至ることはありませんでした(おそらくこの類の近代曲は多くのオーケストラにとってまだ遠い存在なのかもしれません)。最終的に演奏にこぎつけることができたのはよかったと思います。とは言っても、もちろん他の作曲家の協奏曲への思入れがプロコフィエフより少なかったわけではありませんし、どの協奏曲も特有の良さや持ち味がありどれも自分の人生を捧げたい曲ばかりです。
音楽家の中には、オーケストラと共演するという活動を到着地点とみなしている場合が多いように見受けられます。全部の音符、音程、フレーズの取り方などをさらい、オーケストラとのリハーサルの場では音を合わせるだけでやることはもうあまりない、といった感じで気楽に構えていることが多いのではないでしょうか。
私の見解はこれとは違います。今回に限らずいつもそうなのですが、オーケストラとのリハーサルになってから、ダイナミックやアクセントの強調し具合、そして今まで練習で創り上げてきた音色でさえ完全に変えなければならないことがよくあります。その場でようやく全体像が掴め、曲を理解したことになるのです。そしてそれに基づいて全てを調え磨きをかけるわけですから、いくら自分一人で練習していても、そこからまだまだやることがたくさんあるということです。つまり、オーケストラとのリハーサルは「到着地点」ではなく、むしろ単なるプロセスの「始まり」にすぎないことになります。
この段階においては、自分の音符を弾くことだけではなく、アーティキュレーション(発音の仕方)・リズム・音の響きという面で、他のパートの音をよく聴く必要が出てきます。プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲のような難しい音列であふれる慌ただしいパッセージが多い曲では特に、自分の音符をしっかり弾くことに必死になって周りの音を聴くことを忘れてしまうことはいとも簡単です。また、周りの音を聴くことに頭を奪われ、何でもない部分で自分の音を弾き損なってしまう、というのもよろしくありません。この2つの異なる作業を同時に行うことは、決して簡単なことではありません。非常に高い集中力をもってあらゆる音と静寂を感知しながら良い音作りをするという能力こそがここでは求められるのです。
もちろんこれは大変な課題です。しかしそれでも私はこういった形で音楽を学ぶプロセスにやりがいを感じ、とても貴重なものと捉えています。― 音楽における特殊で緻密なコミュニケーションを通じて、より奥深く広い次元で、他の奏者から学びとって新しい発見をしたりインスピレーションを得たりすることもあれば、自分から他の奏者が学びとることもある場なのです。たとえソリストであっても、一人だけで音楽を完結させることはできず、メロディー、内声、低音が互いに補い合って一つの完全なハーモニーを生み出すことや、ある時にはリードし、ある時には追いかける(駆け引き)といったこと、そして奏者全員がぴったり合った一体感のある呼吸の仕方などがあって初めて、最高峰の芸術を成し遂げることができるのです。これこそが私にとって音楽をやる上でのただ一つ素晴らしい喜びで、今後数か月、数年先までの公演でも別の曲を演奏するなかでこの挑戦を継続していきたいものです。
