ウイーンという街において、ワルツほど大衆の人気を得たものはないでしょう。
あなたはどう思いますか?
実際のところ、『ビーダーマイアーの音楽生活』の著者であるアリスM.ハンソンは、宮廷の内部の人たちは全く踊ることはなく、貴族でさえも踊ることがあるとすれば穏やかで礼儀正しいカドリールくらいで、19世紀に舞踏ダンスが流行ったのは中流階級や低層階級の人々の間だったと述べています。
これはとても重要な事実です。なぜなら、今日の多くの人々の憶測などでは残念なことに「ワルツは上流社会にのみ通じた高尚な習慣」と位置付けられがちで、もとよりヨハン・シュトラウスⅡの音楽にみられる洗練さがこの誤解を生んでいると考えられます。ワルツは上流階級の人々ではなく、それ以外の一般大衆に向けられたものだったということなのです。
ではなぜ上流階級の人々の間では踊られなかったのでしょうか?
上記の著書中に出てくるグラスブレナーは、ウインナー・ワルツを性的狂乱、死の舞踏と形容したうえで、その理由を詳細に表現しています:
「… しかし、この熱狂はすでに退廃した。そこにいるのはもはや舞踊家ではなく、単なる飲んだくれの連中である。女たちは男の手が触れるなり熱っぽく感激に震え、そして自分の胸を男に押し付けるようにしたり、顔を男の肩に寄り掛かけさせることで抱きかかえられ、男の一つ一つの動き様と淫らな音楽に豊満に酔いしれていた; 哀願するかのように天真爛漫さは広間から恐れ逃げ去り、かわって女らしさが懇願するかのように心酔し、そして死が片隅でほくそ笑むのだ。」
端的に言えば、ウインナー・ワルツは踊り手どうしの体の距離が近く、唆すような回転や不健全な動きを理由に物議を醸すものだったということです。ですから、上流階級や宮廷内の人たちにとっては、悪い噂が広まりかねないタブーといった感じだったのでしょう。
ウイーンにはダンスホールが30件ほどあり、それらの多くは都心部からやや離れた郊外に位置し、中流階級や低層階級の家庭にまかなわれていました。舞踏会は全世代にとって、知り合いや友人をつくったりすることのできる素晴らしい社交的機会でした。
舞踏会は多くの場合午後8時か9時頃に始まり、なかでも日曜日はたいていの労働者にとっての唯一の休日であるためひどくごった返し、カップルや子供、家族で溢れかえっていました。軽い飲食物もあり、ポンチ(ぶどう酒に水または湯・砂糖・レモン・香料などを入れた飲み物)、果物、氷菓、キャンディーなどが夜通しあり、真夜中になると夜食が出され、踊りは早朝の3時か4時頃まで続きます。
服装規定としては、男性は黒の礼服に絹のズボン、黒の靴下、モロッコ皮革の靴といったぐあいで、女性は舞踏会用ドレスに最高級のダイヤや花を添えるのが通例でした。
ワルツは日本語で円舞曲ともいいますが、上記にある「美しく青きドナウ」op.314 のように、決まって4分の3拍子です。ただし、ワルツの前に前奏がある場合は、その前奏は4分の3拍子で始まらないこともあります。皇帝のワルツでは、前奏が2分の2拍子で始まっています。そこだけを聴けば、ワルツというよりはむしろポルカのように聞こえますね。
たいていのワルツは、全体の中で複数のワルツがまとまってできた3部構成になっており、転調や自由なテンポ奏法を繰り返し次々と新しいワルツへと進行していき、最初のワルツに戻って終結部を迎えます。
ウインナー・ワルツには顕著な特徴が主に2つありますが、それは何かというと、風変りな拍子感 と ルバート奏法 です。
ではまずルバート奏法からいきましょう:
上記の譜面の1小節目に赤色で波線が引いてあります。これらの3つある4分音符は、ワルツ第1番の冒頭にとってのアップビート(弱起)で、これから何か素敵なことが起こる前触れとして大切な役割を果たします。曲の中の他のワルツでも、この弱起がある場合にルバート奏法を用いると、とても効果的です。この弱起をゆっくりとたっぷり弾くことでワルツに入る時に余裕をもたせるのですが、これには管弦楽の団員1人1人が自ら歩調を合わせ、どの程度引き延ばせばいいのかというバランスを丹念に完成させる必要があり、指揮者が単純に拍を示すのではこのような特殊なニュアンスは引き出すことはできないのが難しさなのです。そして、ワルツが始まってからも、直前のルバートの影響で出だしはゆったりと様子をうかがうような感じで進み、ごく自然に本来のワルツのテンポに戻していきます。内気で遠慮がちな人が、最初はぎこちないものの会話しているうちに徐々に打ち解けていくような感じです。
そして拍子感:
ウインナー・ワルツでは、伴奏型のパートが4分音符で拍を刻んでいる場合、2拍目を先取りすることでその後と3拍目、すなわち弱起に余裕をもたせることができます。ウインナー・ワルツならではの巧妙な隠し味で、他の通常の3拍子の楽曲との明確な違いです。空中で天に向かってボールを投げてその反動に多少の時間がかかるのと似ています。2拍目の先取りは、度合が少なすぎると変化を生み出せず、多すぎると今度は4分の3拍子の体系をぶち壊してしまいます。先ほどのルバートと同様、指揮者が精密にこの拍感を反映することはできず、演奏者それぞれが自ら自然にワルツの3拍子を表現するための独特のウイーン風技法を身につけなければなりません。
「春の声」という、シュトラウスがソプラノと管弦楽のために書いた別のワルツがあります。これも他のウインナー・ワルツと同様の形式をたどっています:
これは数年前にピアノとヴァイオリン独奏にサイモン・フィッシャー(私の師)によって書き換えられた版で、現在はペーターが出版・発行しています。来週18日(日)の公演では残念ながらこの曲を取り上げることができないこととなったのですが、個人的には英国に住んでいたころに、ギルドホールでの修了リサイタルで演奏したこともあり、国内外でもこの編曲は出版されて以来公開演奏されていなかったため、事実上私が初演したことになります。オリジナル版(ソプラノ+管弦楽)を聞くと参考になるかもしれません(ソプラノはキャスリーン・バトル、管弦楽はウイーンフィルハーモニー管弦楽団、指揮はカラヤン):
次回のブログでは、19世紀後半から20世紀にかけて大活躍したウイーン出身のヴァイオリニスト・作曲家のフリッツ・クライスラーを紹介し、どのようにしてこのワルツを継承していったかについて関連させながら話していこうと思います。