「教育」は音楽にとってなぜ大切なのか(2017年1月7日)

生まれて初めて音楽を聞いたときのことを憶えていますか?
どんな曲を聞きましたか?
私のように物心がつく頃かその前に音楽を経験し始めた人は、ほとんど憶えていないでしょう。
私が今になって思い出せるのは、ただ、音楽を始めた当初は必ずしも好きではなかったということです。当然、4歳では脳・人格形成が未発達で、家庭環境を意識的に管理する能力はありません。「反抗する」ことも知りません。認識の全ては幼児自身の直感に掛かっています。そのため、音楽を自発的にその年頃で始めるということもまずあり得ないと思います。誰かが種を蒔かなければ花が育たないのと同様、受ける影響、習慣すべてが親主導で、それも教育のステップの一つです。不思議ながら、年を経てからも物事の発端はほとんどが環境・影響によるものなんですね。
なので、私の場合は自転車に乗るよりも先に16分の1サイズのヴァイオリンをかまえていました。音楽家として生きる決意をしたのは何年も後のことでした。
幼少時に最初に見たり聞いたりした音楽は、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ(春のソナタ)、マスネのタイス瞑想曲、チャイコフスキーの白鳥の湖、プロコフィエフのピーターと狼、などでした。当時はまだステレオのような音源を利用してカセットから音楽を流し、目で絵本を追っていました。タイトルや物語の内容にしっくりこなかった私ですが、オーケストラが奏でる音楽だけが何故か耳に残り、やがて何度も頭の中でリプレイされる中で少しずつ内容が呑み込めるようになっていました。その頃の認知習性のおかげで、私にとって音楽の立ち位置と役割をはっきりと理解するのはとてもシンプルなことです。今でも映画や劇を視聴するときに、好きであろうとなかろうと必ずと言っていいほど先に音楽が体に入ってくる感覚は変わるどころか、いっそう強まるのみです。
その後は、ドヴォルジャークの交響曲「新世界」やユーモレスク、ブラームスのハンガリー舞曲5番、J.シュトラウスの「(美しく)青きドナウ」などを聞いていました。ヴァイオリンの学習が進むにつれて、バッハのヴァイオリン協奏曲なども聞いていたと思います。
出番が増えるようになって賞もたくさん授与されるようになってから、成功する感覚がどんなものかを少し味わうことができてこそ、初めて楽しいと感じました。初めて音楽に接したときには、単なる興味以上のものではなかったはずでした。それに、音楽家としての道のりは険しいものでもありました。何度も同じ曲をひたすら催眠術にでもかかったかのように繰り返し聞き、練習し、演奏する…。集中を保つだけの根気と体力をこの頃から求められるのは過酷な経験でもありました。これからも過酷になるだろうと思います。しかしその結果、音楽に対する興味は今この瞬間もさらに膨らみ、ただ音楽に関わりつづけたいという理由や動機が増えていくのは自分自身でとても嬉しい気持ちです。世界に意義のある思想・発想、音楽の脅威、人生の可能性を伝えるのは音楽家としての私の使命です。それは必ず起こると信じていますし、起こさなければなりません。それを先端からリードするために、私は1日たりとも学び、成長し、磨きをかけ、最高峰に達する努力を止めません。

 

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