エルガーとブラームス(2016年12月18日)

ここ数日は、間近に迫りつつある公演に向けて、エルガーのピアノとヴァイオリンのためのソナタなどに取り組んでいるところですが、それと同時に、エルガーの作曲の背景や生涯に関してもいろいろと調べることが多くなりました。
音楽というのは音色やの連続だけでできているのではありません。音楽には様々な概念があり、その解釈は芸術家によってはやや異なるものの(もしくは正反対)、言葉で表現しようとすればするほど不明瞭になる要素が大きいのです。それは、作曲者・聴き手ともに、曲にどんな時でも何らかのメッセージがこめられているに違いないと考えることが多いからです。言葉で音楽を語ることができるなら、音楽はむしろ必要ないでしょう。偉大な世界的ピアニスト・指揮者バレンボイムもそう言っています。
今日は言葉で説明できる曲の構造について話したいと思います。このソナタを理解するうえで欠かせないのがブラームスの影響に関しての理解です。
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コンサート「エドワード・エルガー」 のお知らせ
2017年1月21日(土) 20:00~ カフェ・モンタージュ(京都)
チケット発売はあと3日で開始します(12月21日)。席数は40に限られていますので、お買い求めの方はお忘れなく!

                            ==>  http://www.cafe-montage.com/prg/170121.html

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エルガーの生涯は19世紀と20世紀をまたぐ長いものだったため、同時代の作曲家からの影響は計り知れなかったでしょう。ワーグナー(1813~1889)、ブラームス(1833~1897)、フォーレ(1845~1924)、R. シュトラウス(1864~1949) などが、彼が主に影響を受けた人物です。もちろん他にもいます。そのため、このソナタが誰からの影響が最も強かったのかというのは、判別は難しいでしょう。

elgar

 

上記の譜例は、ソナタ1楽章にある中間部です。注目すべきはこの譜例の2小節目からで、2つの声部が歩調を合わせるように同じアーティキュレーションで進行しているのがわかります。スラーの掛かり方から言えば、これはレガートを意味しているというよりも、フレーズの区切りを表わしています。これに従うと、2小節目のスラー1つが1つの小さなフレーズということになり、3小節目も同様のフレーズができています。しかし、その次の2小節は3拍ずつスラーが掛かり、弱起のはずの2拍目裏にはアクセントがあります。この楽章の拍子は2分の2ですが、スラーの頭にアクセントがついているので、聴き手にとっては2分の3拍子や4分の3拍子のように聞こえさせる仕掛けです。これは、ヘミオラと呼ばれる、シンコペーション・リズムを連続させることによって起こるパターンの一つです。
ヘミオラのリズムは、ブラームスの曲の数々に頻発します。ヘミオラそのものはブラームス以前の作曲家も使っていましたが、ブラームスはそれを流動的に自らの作品に使いこなしていました。下には交響曲第4番(1楽章)の譜例があります。ここにも、旋律の下の音域にはシンコペーションで進行する低音があり、その全ての音にやはりアクセントがつけられています。アクセントは文脈によって瞬発的なものか拍子の感覚を強調するような深いものかを区別しなければなりません。話の流れでわかると思いますが、これはもちろん瞬発的な攻撃的なアクセントではありません。
brahms4_1この楽章は2分の2拍子で書かれています。そのため、2分音符につけられているアクセントがあっても、この楽章の場合はそれが3拍子や6拍子に変化して聞こえることはありません。ただ、アクセントの位置が1拍目裏と2拍目裏(4分の4拍子なら2拍目と4拍目)なので、その弱拍が強拍のように聞こえるのです。ヴァイオリンの奏法において、小節の強拍でdown (⊓)  を使うことが多いのはこれが理由です。down (⊓) を使えばアクセントを避けるのは物理的に困難だからです。このシンコペーションとアクセントの効果は、音楽を前へ押し出すところにあると思います。2拍子の場合は特に、強拍と弱拍が隣り合わせなので、この効果は起こりやすいでしょう。もちろんこれに関しては指揮者によって解釈が異なるかもしれません。対照的にもし、弱拍で時間に余裕を持たせるのなら、音楽の進行をあえて抑えることもできるからです。最も重要なのは、低音部にあるタイとその中間を流れる8分音符のスラーが小節線を越えて書かれている点です。タイやフレーズを表わすスラーの途中で音楽が停滞することは許されないので、必然的に小節と小節の境界が曖昧になるわけです。そうなると、聴き手にとっては、あたかも小節線が存在しないかのように感じられ、同時にシンコペーションの2小節が複合された1つの小節として捉えることができます。アクセントによって拍を強調するポイントがずれるということと、小節線のない大きな1小節のようになることが同時に起きるという、相反するようであるのがヘミオラの特徴といえそうです。

 

brahms4_4                          brahms4_4_2
それでは、4分の3拍子の最終楽章はどうでしょうか? 左上のヘミオラの譜例では2つの対立した声部がシンコペーションリズムで互い違いに存在していますが、ヴァイオリンとヴィオラが「意見提示」の役、それ以外の楽器がそれに対する「応答」の役を担っています。交響曲や管弦楽曲を熟知していたブラームスは、譜例を見てもわかるように双役が同じ割合で釣り合うようにと、楽器編成による音響上の配慮を怠りませんでした。「意見提示」にあたるの長さは2拍で、「応答」側の 付点8分休符 の拍数と同じであるため、シンコペーションの部分の2小節は2拍単位の小さなペアが3つあるということになります。なので、3拍子からは一旦外れて4分の2拍子に移行した感覚になるわけです。右上の譜例でも3拍子が4分の2拍子に変化したようになっているのがわかります。3拍子でカウントするならこの2小節間で強拍は2つだけになるはずですが、2拍子でカウントした場合強拍は3つになります。どちらの方がより音楽の進行にとっての抵抗力になるかは明らかです。
さらに別の捉え方も存在します。左上の譜例では、先述のとおり2拍単位の小さなペアが3つあるため、そのペアをそれぞれ1拍と考えて、2小節全体を4分の3拍子の大きな1小節というふうに解釈できます。小節線を超えるタイは2小節をつなぐ役目を果たしています。実際の2×3=6(拍)を3拍として捉えるわけですから、小節のスケールが2倍に広がるということです。ヘミオラのどこが奥深いかというと、2拍子の性格と拡大された3拍子の性格が共存しているところ―つまり二重人格なわけです。ジキルとハイドみたいなものです。
ではなぜブラームスはこのような回りくどい書き方をしたのでしょうか?それは、彼が受け継いできた記譜上の原則としてのしきたりに存在しなかったからです。少なくとも20世紀に入って形式主義が衰退するまでは、曲の途中で2小節だけ拍子を書き換えるようなことは一般的ではありませんでした。交響曲全体を見ても彼が古典にこだわっているのがはっきりと映っています(3楽章はパッサカリアまたはシャコンヌ)。しかも、ヘミオラが出てくる度に拍子を書き換えていたら、古典的形式そのものが歪んでしまうことになるのを良しとしなかったでしょう。
エルガーもおおむねこのような伝統的姿勢をとっています。ヘミオラはその最もわかりやすい例といえます。小節と小節をタイで接続し大きな小節を造り、それと同時に異なった拍子感覚ももたらすというヘミオラならではの手法は、叙情的な中間部の旋律にもフィットしています。2つの声部その後、ジキルとハイドのように二面性を反映しながら対等に絡み合いを繰り返し、徐々に緊迫感を増しながら高揚し続けて最初のテーマにたどり着きます。
さて、この記事ではエルガーとブラームスがどのように共通しているのか、どのような特徴を共有しているのかについて書きました。これはエルガーを語っていくうえで、とても重要な側面なのです。日本ではまだまだ知られていないエルガー、これからもたくさん紹介していく予定です!

 

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